テンプラとマフラー
1997年10月6日。小樽市内から石狩湾に沿って北上しながら、僕はおでんの看板を探していた。北海道の情報はまったくなかったので、目に留まったおでんを端から食べて特徴をつかもうと思ったのだ。
日本海からは、例年より10度も低いという冷たい風が吹きつける。斜め前方から風を受けながら、少しずつ北上する。
浜益村に入ってすぐに、おでんの看板を見つけた。食堂を兼ねた民宿に「おでん(みそ味)」と書いてある。だが、残念ながら店は休みで、呼び鈴を鳴らしてもだれも出てこない。
しかたなく先に進み、少し走った所の食堂で再びおでんの文字を見つけた。お昼にはまだ早いが、話だけでもと思って戸を開ける。おでんを頼んだら、今はできないと断られてしまった。注文が少ないせいか、まだおでん種を解凍していないようなのだ。
「おでんっていっても、鍋でグツグツ煮るような普通の物じゃないんだ。ウチのおでんは、コンニャク・なると・マフラを串に刺して、鍋で温めて味噌をかけた物で……」
どうやら、さっきの看板に書いてあった味噌味のおでんと同じようだ。しかし、「マフラ」とは何だろうか?
「ここらではマフラ、マフラって呼んでるんだけど、テンプラのことだァ。ちょっと大きめの物で、小さく切って串に刺してあるのさ」
厨房にいたおばさん二人が、なんでそんなことを聞くのか不思議そうな顔をする。
西日本で揚げかまぼこのことをテンプラと呼んでいるのは知っていたが、どうやら北海道でも同じらしい。関東での呼び名はさつま揚げである。
けっきょくこの店のおでんは食べられなかった。僕がおでんを食べ歩いていると話すと、「なんで、おでんなんか……」と言われてしまった。たしかに、ホタテやカニの看板を横目で見ながらおでんを探す自分に、なんとなく寂しさを感じる。
今日の宿泊地の留萌市に着いて、無料のライダーハウス「みつばちハウス留萌ARF」を探す。北海道にはこのように無料や500円程度で泊まれる所が多く、野宿では寒いと思われるときに利用するつもりだ。特に今回の旅は、町中に泊まることが多いからテントを持っていない。
荷物を下ろして壁の落書きを眺める。近所のかまぼこ屋のチラシが目についた。さっそく店に向かう。店のお姉さんにおでん種に使う物を聞くと、「串だんご」(スケトウダラのすり身+とうがらし)、「つまみ」(すり身+ゴボウ・ニンジン・ホウレンソウ)、「小判揚」(揚げかまぼこ)、「花竹輪」(なると状の竹輪)を挙げてくれた。
「マフラというのはありますか?」
僕は、浜益の食堂で聞いたおでん種の正体を知りたくなった。
「ああ、マフラーも入れますね。今は売れちゃってないんですけど」
どうやら「マフラー」が正しいようだ。「小判揚」をちょっと茶色に着色した感じで、長方形の大きな揚げかまぼこらしい。なぜマフラーと呼んでいるのか尋ねたら、「さあ、マフラー(襟巻き)の形に似ているからでしょうかね」と首を傾げた。
その後、市内のスーパーを何軒か回った。有名な「紀文」以外では、小樽のメーカーのおでん種が多い。ところが、あらためて見ると、東京でいう「〜巻」がないのに気づく。すべて平べったい「〜天」である。これもテンプラと同じく、西日本と共通した呼び方だ。
西日本のなかでも、特に京都・大阪と北海道のつながりの深さには、昆布の流通が関係する。
昆布は北海道を中心に採れ、古い時代から各地に運ばれた。北海道の南部に集められた昆布は、北前船に載せられて日本海に沿って南下し、敦賀から京都・大阪に渡っていった。
また現在でも、小樽を起点にする新日本海フェリーが舞鶴・敦賀・新潟のルートに就航中である。おでんの製造技術とともに、おでん種の呼び名が北海道に入ったこともじゅうぶん想像できる。
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