旅を終えて おでんの道標
旅から戻って一年が過ぎた。それにしても、おでんばかりよく食べたものである。延べ106日間の旅で103回おでんを食べた計算になる。ほぼ毎日、なんらかの形でおでんをほおばっていたわけだ。
ドライブインでコンニャク田楽をかじったり、市場で串刺しおでんを立ち食いしたり、屋台でラーメンといっしょにおでんを選んだり、スーパーの総菜売り場で買ったおでんを駐車場で隠れるように味見したり、老舗のおでん屋の味に舌鼓を打ったり、思いもよらないおでん種に出会ったり、ほんとうにさまざま場所でいろいろなおでんを食べた。
「そんなにおでんが好きなんですか?」
おでんの話をする度によく質問されたのがこの言葉だった。たしかに各地のおでんを食べ歩き、その違いを知ったことで好きになったかもしれない。しかし、少なくても旅に出る前までは、おでん屋にわざわざ足を運ぶようなことはなかった。これが例えば、おでんではなくカレーやハンバーグだったら、「はい、好きです」と即答できただろう。
ではなぜ、おでんを食べ歩こうと思ったのか? それは、冒頭で説明したように、博多の屋台で餃子巻きを食べたことがきっかけだった。この衝撃的な出会いによって、それまではなにげなく食べていただけのおでんが、急に目の前に浮かんできたのだ。それはまるで、好きな人ができてその人のことばかり考えてしまう感じに似ていた。
僕は、おでんに恋をしてしまったのである。
恋人を選ぶときの基準はそれぞれに違う。愛らしい雰囲気がいいと思う人、優しさにほっとするという人、自分のことを理解してくれる相手を求める人など、100の恋があれば、100の好みがあってもおかしくない。おそらく、僕の心のなかにも、おでんにあこがれる要素があったのだろう。
〈おでんのどこに魅力を感じたのかなあ〉
●比較食文化への道
これまでの旅を振り返ると、思い出すのは何かを食べているシーンばかり。雪が降る北海道の雪原で食べた焼き芋の甘さ、富士山麓へ山菜採りに出かけてその場で天ぷらにして食べたみずみずしさ、中国大陸の真っ暗な路地をとぼとぼ歩いているときに出会ったかき揚げの暖かさ、タイの屋台でさまざまなおかずを前に悩む姿……。
さらに、気に入った食べ物に出会うと、そればかり食べ歩いている自分に気づいた。
中国の上海郊外をうろうろしているときに寄った市場で、小籠湯包というスープ入りの丸型餃子を初体験。口に入れた瞬間に熱いスープが飛び出し、12個入りの蒸籠もあっという間に平らげてしまった。以来、今でも点心の店に行くと必ず小籠湯包を注文しないと気が済まない。
同じように、ギリシアではナスとトマトとひき肉の重ね焼き(ムサカ)にハマッてしまい、訪れる先々でその店の味を満喫した。タイをレンタバイクでツーリングしたときは、青とうがらしとココナッツミルクが効いた鶏のグリーンカレー(ケーン=キョウワン)ばかり食べていた。
「同じ物ばかり食べていて飽きませんか?」
これもよく質問される言葉である。けれども、小籠湯包やムサカやケーン=キョウワンを食べ歩く過程で見えてくることがあった。それはやはり店ごとに味の差があることだったし、訪れる地域によってそこで暮らす人々の好みがかいま見えるということだった。
なぜ同じメニューなのに微妙な違いがあるのだろうか。有名なレストランなら料理人の腕前が関係するだろう。安宿の食堂なら従業員の舌に任せられるのかもしれない。ひょっとしたら、「おいしさ」の基準はそれぞれの考え方や育った環境によって異なるのではないかと思えてきた。そしてその地域の特徴は、高級料理店よりも、日常的に利用する大衆食堂に現れるのではないか。
衣・食・住のうち、人間の生存に欠かせないのは「食」である。極地は別だが、服や家がなくてもなんとか生きられる。でも、食料がなければいずれ息は絶えてしまう。ということは、何が食べられているか知ることで、その地域の暮らしぶりがうかがえるはずだ。食べ物の種類が多ければ多いほど、味付けの幅が広ければ広いほど、そこで生活する人たちの食に対する情熱が伝わってくる。
僕は「食べ歩き」を旅のテーマに決めて、タイとラオスへ向かった。街角の食堂や屋台でさまざまな料理を味わいながら、各地に点在する市場にも足を運んだ。そうすると、魚が豊富な市場、野菜を中心に扱っている市場、その場で屠畜している肉市場など、大都市にはそれぞれ専用の市場があり、逆に小さな田舎町では持ち寄った食材を広げてつつましく売っているのがわかった。ラオス北部にあるルアンナムターという町の市場では、少数民族がケシの実を売る光景も見られた。
それから、タイ東北部のシー=チェンマイでは、春巻の皮を作る小さな工場を見学させてもらった。この町はベトナム人の移民が多いことで知られ、ここで作られた天日干しの春巻の皮は世界中の料理店で珍重されているという。
ただ、7年前に訪れたころは街のあちこちで天日干しが見られたのに、1997年のこのときはようやく探し当てたほどだった。ラオスへの対外政策から経済発展が進み、家内制手工業的な春巻の皮作りは、だんだん消えているようである。以前は道の両側にすだれが立てかけられていた路地も、メコン川の対岸を望める遊歩道の工事が進んでいた。
春巻の皮は米の粉を薄く広げて蒸し器で仕上げるわけだが、ラオス第二の都市・ルアンパバンの郊外で天日干しを見たときは、「フー」と呼ばれる麺に加工されていた。タイでは「クイティオ」と呼ばれる“ビーフン”である。臼でひいた米の粉を使うことや、布を張った蒸し器の仕組みがまったく同じなのに、ベトナムでは春巻の皮になり、タイやラオスでは麺が作られていたのだ。
一方、タイの東北部やラオスの中部で数々のベトナム料理に出会った。食文化は国境を越えて伝わるほど、個々の生活に定着しているということである。
この旅で僕は、同じ食べ物でも場所によって微妙に味が違うこと、同じ製造方法でも国や民族によって別の食品に変化することを知った。
同時に、アジアの国々を歩きながら考えていたのは、日本のことだった。
〈日本のおもしろさはいったいどこにあるんだろう……〉
そう思っていたころに「民俗学」との出会いがあった。急峻な斜面で焼き畑をして暮らす人たち、夜を徹して神楽を舞う人たち、炭焼きや機織りに精を出す人たち……。長い年月を経て庶民の生活に根づいた風習や信仰にこそ、日本の文化があることを知った。
民俗学の視点を得たことで、自分にとっての旅の魅力は「比較」にあることがわかった。日常から離れてまったく違う世界と比べることで自分が生きる社会を再確認できる。また、自分が持っている価値観を他者と比較しなければ相互理解も進まない。そして、「食べ歩き」に「比較」というキーワードが加わり、僕は「比較食文化」というテーマを得た。
ところで、日本をまるごと理解できるものはないだろうか?
●おでんから見えるもの
まず、国民食ともいえるラーメンを思い浮かべた。ちまたには各地のラーメン屋を特集した雑誌や本があふれている。しかし、なぜそのような特色が生まれたのかほとんどわからない。例えば、九州の豚骨ラーメンはなぜ生まれたのか? それは、ラーメンに使われるスープや麺が中国大陸から九州に渡ってきたことと関係する。中国大陸の水はカルシウムやマグネシウムを多く含む硬水なので、そのままでは飲用できないし、料理にも使えない。そこで、たんぱく質の多い豚骨などをグツグツ煮て、カルシウム類と結合させてしまい、アクとしてどんどんすくい取ってしまうわけだ。
ところが、豚骨ラーメンの味は醤油や味噌を好む日本人の味覚にあっという間に吸収されて、それぞれの店でこだわりの味が作られるようになった。これでは各地の特色がわからない。
うどんとそばを比べると東西の比較はできそうだが、わかるのはそこまでで、少しもの足りない。全国どこに行っても食べられ、身近に存在しているような食べ物はないだろうか?
そこで目の前に現れたのが「おでん」だったのだ。餃子巻きに端を発した“おでん談義”はどんどん膨らみ、一気に室町時代の豆腐田楽にまでさかのぼってしまった。
さらに、おでんに使われる材料を一つひとつ取り出してみた。まず、味付けである調味料。醤油と塩が使われる地域が多かったが、名古屋周辺では味噌だれをかけるという。次に、うまみ成分の基本であるだし。昆布や鰹節や煮干し類など、だしに使われる素材は地域によってある程度区別できた。そしておでん種に使われる具。豆腐やコンニャクのほか、魚のすり身を使ったかまぼこ類の多様さは、工業製品でもあることから、流通の様子も反映していそうだった。
醤油や昆布や豆腐など過去の歴史は書物をひもとけば調べられるが、現在のことは実際に自分の目で確かめなければわからない。この“とことんおでん紀行”は、田楽からおでんにつながる時間の流れの縦糸に、日本各地の特徴である横糸を紡ぐ作業だったといえる。織物の模様を浮かび上がらせる横糸を紡ぐには、その境目を定め、どんな色合いにするのか決めなければならない。
旅のポイントは境界線探しにあった。列車やバスを使って点の移動を繰り返すと、この境界線に気づかないまま越えてしまい、少し戻らないと特定できなくなる。車の利用が増えるのに合わせて、郊外型の大型スーパーに買い物客が集まるようになっていた。となると、自由に動けるバイクの利用が浮かんでくる。原付きバイクを使ったのは単に免許の問題だが、ホンダのプレスカブを選んだのは理由がある。荷物を積んだときの安定感と燃費のよさ(1リットル当たり平均60キロは走った)に加え、新聞配達に使われるため全国どこでも修理に困らないという面があった。
もちろん、点が線になっただけで、すべての地域をくまなく調べられたわけではない。特に、北海道東部と中部・北陸地方に足を運べなかったのが心残りである。内陸部ではあまり特色が見られないことや北陸ではおでんを食べる機会が少ないという声があったので、一筆書きのルートから外してしまったのだ。けれども、実際に足を運んでみると、出かける前に得た情報の何十倍もの特色が散らばっていた。もしかしたら行けなかった地域以外にも見落としたことがあるかもしれない。
ともかく、日本列島を貫いた1万キロを越える横糸によって織り上がったのが本書である。
●おでんのある風景
「おでん屋はそこの角にあるけど、酒はだめだぞ」
おでんを食べられる場所を交番で聞いたときに注意を受けた。もちろんバイクのヘルメットを持っていたからだが、それだけおでんと酒の結び付きが強いことがうかがえる。なかには、おでんと聞くだけで熱燗を思い浮かべる人もいるかもしれない。たしかに今は、酒のつまみとしての人気が高い。
しかし、元々はもっと気軽に食べられる存在だった。おでんのルーツである田楽が大衆のスナックとして親しまれたのは、江戸中期ごろ。田楽をはじめ、天ぷらやそばなどを売る多くの屋台が登場し、江戸の町は一種のグルメ・ブームだった。田楽は串に刺してあった手軽さが受けた。なかでもコンニャクの人気が高く、江戸時代の娘の好きなものとして、芝居・コンニャク・イモ・タコ・カボチャが挙げられたほどである。
幕末期の江戸では醤油味の“煮込みおでん”が現れた。「おでん熱燗、甘いと辛い」と呼び声がかかったというので、従来の味噌田楽が甘い物で、醤油で煮込んだ物が辛かったのだろう。
明治時代に入るとおでんと茶飯が組み合わさって、「おでん茶飯」の屋台が急増。隅田川の土手には花見客目当ての屋台がずらりと並ぶほどの人気だったが、第二次大戦後の米不足だった時期に茶飯は姿を消していった。
おでんが一気に普及したのは関東大震災後の大正時代。震災の復興時やその後の戦時中におでんが好まれた背景には、安価で手軽に食べられたことに加え、栄養面でも優れていたことが挙げられる。魚のすり身には卵と同量の良質なたんぱく質が含まれ、揚げかまぼこ類にはカルシウムも多い。これに豆腐などの大豆加工品や食物繊維を多く含む野菜類が加わることで、栄養のバランスもいい。
ファストフードとして田楽から発展してきた「おでん」。最近のおでんは高級路線に傾きつつあるものの、やっぱりおでんはもっと身近な存在であってほしい。子どもが駄菓子屋でおでんを買う光景はほとんど姿を消したが、最近はコンビニのおでんが定番になった。学校帰りの学生から深夜族の若者まで、手軽な食べ物として人気が高い。高級化をたどったおでんは、コンビニの出現によって、どこでも気軽に食べられる庶民のスナックの地位を再び取り戻したのだ。
それにしても、なぜこれほどまでに各地で違いが見られ、しかも味や種に対するそれぞれのこだわりがあるのか。昆布や鰹節のだし汁、醤油や塩や味噌の味付け、そして魚のすり身や豆腐を元にしたさまざまな具……。まさにおでんは、日本人が慣れ親しんだ味覚の集大成といえる。
無意識のうちに求めてしまう「おふくろの味」。それがおでんではないだろうか。季節を問わず、おでんはこれからも人々の心を温めてくれるはずである。
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