あとがき
ここ数年、ずっと考えてきたテーマを日本の旅で始められたのは実に運がよかった。さらにおまけとして、各地に点在する友人たちを訪ねる楽しみも加わった。10年ぶりに再会してお互いに変わらないことを確認しあったかと思えば、電子ネットワークで知り合って初めて顔を見る人もたくさんいた。おでんを食べ歩きながら、僕はもう一つの旅を楽しんでいたのだ。
この旅は、ネットワークそのものに支えられて実現したといえる。餃子巻きから話題が広がったのは、ニフティサーブの「現代文化研究フォーラム」がきっかけだった。また、ネット上でしか知らない僕を笑顔で迎えてくれ、宿と食事を提供してくれた人も多い。予想しなかった出会いもうれしいが、そこに行けばあの人に会えるという楽しみもあった。なんと、ぜいたくな旅だったのだろう。
それから、旅のレポートのため、ニフティ内に「パティオ」と呼ばれる個人の部屋を設けた。出発前に参加希望を募ったら、70人近くが名のりを上げてくれた。単3形のニッカド電池を太陽電池で充電しながら、携帯用ワープロを使って公衆電話から毎日のように日記を書き込んだ。旅を終えたときには、日記は400字詰め原稿用紙760枚に及んでいた。きっと読むほうも大変だったに違いない。ときには次の目的地の友人と連絡を取ることもあったし、新しい情報交換も行なった。そうやって、僕は約70人に見守られながら旅を続けたのである。なんと、心休まる旅だったのだろう。
韓国や台湾で言葉の不自由さを補ってくれた人たちも、旅先で知り合った人や友人が紹介してくれた。特に、韓国では梁完模さんと土田眞樹さんに、台湾では大城勉さんと片倉佳史さんと袁斯微さんにお世話になった。この場を借りてお礼申し上げます。
今僕は、新潟県の豪雪地に移住する準備を進めている。高校時代から自然のなかでの生活にあこがれ、ほぼ10年間をかけて第一歩を踏み出すことができた。「日本海側の豪雪地だけはやめよう」と思っていたのに、どういうわけか縁があって典型的な雪国に移り住むことになった。
移転先は、棚田の風景がマスコミに取り上げられるようになってきた新潟県東頸城郡松之山町である。世界のなかでも積雪量が多い新潟県で、さらに県内でも有数の豪雪地といわれる場所である。東京のアパートでこの原稿を書きながら、少し早めの大雪に見舞われた日本海側に思いを寄せている。築100年の民家である我が家の屋根に、すでに3メートルも積もってしまった。さっそく、明日から雪掘り(昔は屋根の雪を上に投げるぐらい降ったらしい)に行かなければならない。
最後に、僕のこだわりに半ばあきれつつ、適切なアドバイスと激励をくださった凱風社の小木章男さんに感謝します。つたない旅行記を持ち込んだ七年前に「テーマの必要性」を訴えていただいたおかげで、この本が出来上がりました。それから、著者略歴用の似顔絵とカバーイラストを描いてくれた長野亮之介さん、制作を担当してくれた江越美保さん、ありがとうございました。
比較食文化の旅は始まったばかり。次は読者のみなさんと、旅の空の下で食卓を囲みたいものです。
1999年1月15日 新井由己
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